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古代イスラエルワインへの回帰

Sep 18 2021

自分が思ってる事、

「イスラエルワインは新世界ではない」という事。

これはあくまでも個人的見解ですが、イスラエルは4000年前からワインを作っていた土地です。これは考古学的に立証されていて、葡萄園やワインプレスの跡が見つかっています。

まぁそういうことを加味して、新世界であり新世界でないと勝手に思っています。

この地域のワイン産業の発生、消滅と復興をザックリ調べてみました。

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写真:旧約聖書民数記13章23節の出来事

1.歴史的背景

この地方がワイン産業的にどういう歴史をたどったのか?

 

◆有名な聖書のお話にノアの箱舟があります。諸説ありますが約5000年前お話です。

神様が人類にお仕置きを据えるために大洪水をおこすので船を作って避難しないさいというものです。

洪水が引きノアはブドウ園を作りワインを作って飲んだと書かれています。

ノアの事を世界最初のワインメーカーと言ってる人もいます(笑)

しかも酔っぱらって粗相をしてしまいます。(汗)

 

約4000年前にアブラハムを族長とするユダヤの民がこの地方に住み着きます。

そしてこの土地で農作物を作り、当然ブドウも作っていました。

ワインの起源と言われるグルジア(現在のジョージア)からのワイン輸入が当然あったと思われます。

交易の民だったフェニキヤ人が商材として取り扱い、海外のワインもイスラエルに流入していたと思われます。

 

◆青銅器時代BC3000~1500年ごろ

ワイン貿易

古代の農産物、特に国際貿易については、書面および考古学的に十分な証拠があります。

主な流通品はワインとオイルでした。考古学的証拠は、他の国で発生した瓶とアンフォラ(陶器のワイン瓶)です。通常、これら瓶はワインまたはオイルに利用されていましたが、今日、化学試験によって使用用途を識別することができます。

この地方のアンフォラを研究した結果によると、ほとんどがワインに使用されていたようです。

青銅器時代初期では輸出入でエジプト、パレスチナの海岸とレバノンの海岸の間のかなり広大な陸と海で貿易の証拠が残されています。

青銅器時代後期には、エジプトからの輸入の証拠も発見されています。

しかし典型的なカナ地方の瓶(古代イスラエル)がエジプトとミケーネへ出回っていたようです。

またギリシャの島々を起源とするヘレニズム時代の多くのアンフォラがパレスチナで発見されました。特にロードス発見の物は、取っ手部分にギリシャ語のスタンプが付いており、起源と時刻を識別できます。そして、ワイン用であると認められています。

 

またナバテヤ人と呼ばれる人々がBC3、4世紀ごろ商人としてこの地方で活動していました。アヴダットという街をイスラエル南部に作り、商隊の中継地点として機能し、活発な商業活動をしていました。やはりそこでもワインを作っていた痕跡が見られます。(ナバテヤ人らはワインを飲まなかったと言われてます)

 

◆ローマ時代とビザンチン時代には、国際貿易の大きな成功が見られます。

古代イスラエルを起源とする瓶は、地中海全土で発見され、2つのタイプに分類されます。

イスラエル南部で製造されていたガザ瓶タイプ、もう1つはアシュケロン瓶タイプです。

また国の主に北部地域ではワイン袋の形を模倣した瓶も製造されていました。

 

イエスキリストの時代、紀元0年前後で見てもエルサレム周辺ではブドウが盛んに育てられ、ワイン造りがされていました。

プロテスタント系が支持する、イエスの墓の跡地と信じられる園の墓(The Garden Tomb)(聖墳墓教会はカトリック系が支持するイエスの墓です)

新約聖書の記事によると、美しい園があり、ワイン造りのワインプレス場があります。

これはイスラエルで発見されたワインプレス場としては最大と言われています。

参照:https://gardentomb.com/wp-content/uploads/2018/03/japanese.pdf

Samaria_North_Gat.jpg

写真:サマリア地方のビザンチン時代のワインプレス場(10m x 13m)”北のガット”

その後古代イスラエル王国はAD70年にローマ帝国によって滅ぼされます。

6世紀になり、ブドウ生産はされていたようですが、イスラム教支配になってからワインの製造が禁止されます。上記の写真はサマリア地区にあったビザンチン時代の農場です。詳細はあまりありませんがキリスト教徒の農場だったようです。イスラム支配によりワイン造りが禁じられたため、この場所を放棄したと言われています。

 

7世紀頃にはほぼ完全にワイン製造は無くなったようです。

十字軍統治時代はワイン市場が認められ復活しました。食用ブドウとワイン用ブドウの栽培が広がりました。イスラム統治時代に広まった麦畑もブドウ園に植え替えられました。

1233年の資料によると、当時イスラエルからヨーロッパに輸出された製品にオリーブオイル、葡萄、ワインが入ってました。

 

◆近年の研究で多くの古代のワイナリーがイスラエルで発見されました。たとえばエイタン・アヤロンが実施した調査では、サマリア西部のツール・ナタンで、さまざまな時代の約120のワインプレスが3平方キロメートルの範囲で記録されました。

エルサレム地域の調査では、アモス・クロネルは100平方キロメートル範囲で263のワインプレスを発見しています。 西ガリラヤの谷の地図で、ラファエル・フレンケルは、100平方キロメートルの領域で177のガット(ぶどう搾り場)を記録しました。そのほとんどは小さく、岩盤をくり抜いたタイプで、ブドウ踏み場とジュースが溜まる窪みの2つのつくりからなっています。

写真:サマリア地方のビザンチン時代のワインプレス場(10m x 13m)”北のガット”

2.宗教的理由(ワインとユダヤ教の関係)

どの時代にもユダヤ人の生活にはワインが登場し、旧約・新約聖書にも何度も出てきます。

ちなみに旧約聖書には”ワイン”(יין:ヘブライ語でヤイン)という単語は139回。

ミシュナ(BC6~AD3までのラビのトーラーに関する註解と議論、行動規範)の第2章モエッドのエブリンにワインに関する記述がみられます。

 

ユダヤ教では毎週の安息日(シャバット、金曜日)の夕べにワインを注ぎ、ディナーを始める前にキドゥーシュ(קידוש)という祝福の祈りを捧げます。

一週間の無事と神様の恵みに感謝し、安息日を聖なるものとするために象徴のワインを用いると言われています。

このキドゥーシュはモーセがシナイ山でトーラー(ユダヤ教の聖典)を神様から受け取った時から始まったと言うラビ(ユダヤ教教師)もいます。そこにワインがあったのか?という疑問はありますが(汗)

 

またユダヤ教の重要なお祭りの一つにペサハ「過ぎ越しの祭り」(חג פסח)があります。

このお祭りの祈祷書ハガダーには、ワインを飲んで祈祷するポイントが4カ所があります。

その他のユダヤの祭日でもワインを用いて祝福の祈りをするのが通例です。

 

この安息日やお祭りで飲むワインはコーシェルワインである必要があります。

ユダヤ教的に重要な掟にコーシェル(כשר:英語発音でコーシャ)があります。

コーシェルとはトーラーやミシュナーなどで決められたユダヤ教の食事規定です。

正統派のユダヤ教徒はコーシェル認定の食事にしか手を付けません。当然ワインも認定されたものしか飲めません。コーシェルワインについては別の機会に紹介します。

以上のことからも分かるように、ユダヤ教とワインは深い繋がりがあります。

 

いつ頃からシャバットワインを飲むようになったのか?

調べましたが、まだ見つけれてません。

2009年の調査では42%の家庭がシャバットにキドゥーシュをしているとありました。

Gizo ブドウ園.jpg

写真:GIZOワイナリーの収穫風景

3.近代イスラエルのワイン産業

この地帯がイスラム支配にあった時代はワインを作ることが禁じられていました。

イスラムの侵攻が始まったころは、葡萄の木は抜かれ、代わりにオリーブの木が植えられてきました。

イスラムの統治になり、葡萄は食用として多少残っていきます。

と言っても一定数のユダヤ人は常にパレスチナには在住していました。資料によると数十のユダヤ人集落は常に存在していました。

食物用という名目で葡萄を栽培し,秘かにワインも製造していたようです。

 

シオニズム運動が盛り上がり、ヨーロッパのユダヤ人がパレスチナ地方に帰還し始めるのが1800年代。

Teperberg Wineryは1830年に最初のワイナリーとして近代エレツ・イスラエルに設立されたとしています。

CARMELは1889年、リション・レツィオン(Rishon Lezion)に出来ました。当時帰還者ユダヤ人は穀物を栽培するも失敗。他の農業もうまく行かずブドウを栽培し成功します。しかし食用ブドウの需要はさほど無く、それらをワイン製造として方向転換。

 

’’シャトー・ラフィット’’当時のオーナー、エドモンド・ド・ロスチャイルド卿に協力を仰ぎ、ワイナリー建設や製造ノウハウ、ボトル工場などすべてに渡ってサポートを受けたのが始まりだった。

建国後に、BinyaminaやGolan Heights Wineryが出てきます。

1990年に入りブティックワイナリーが乱立しワインブームが起きました。

現在ではワイン協会登録されているワイナリーは600近くあり、活動実態があるものが300あるとされています。

 

 

4.古代ブドウ品種への回帰

イスラエルで作られるワインは1890年以来すべてが国際品種のブドウでした。

最多がカベルネ・ソーヴィニョンでメルローやプティ・ヴェルド、シラーが続き、マルベック、カリニャンなども増えてきています。

気候柄、白ワインを趣向する人々も増え、シャルドネやソーヴィニョン・ブランが主で、ヴィオニエ、コロンバールも増えています。

 

イスラエルワイン業界でも常に創造的で唯一無二の存在、アヴィ・フェルドシュタイン氏。

彼は1999年にイスラエル種のアルガマン(Carignan と Sauzaoとの交配種)をブレンドに取り入れ始めます。

アルガマンは当初、低品質でワインには向いてない、もしくはテーブルワインのブレンドにと思われていました。しかしフェルドシュタインはアルガマンをガリラヤ地方で丁寧に栽培し、素晴らしいワインを作り上げました。

それ以来アルガマンの評価が変わり、イスラエルワインのアイデンティティ探求として土着品種が注目されるようになります。

ただアルガマンは交配種なのでいわゆる土着品種とは言えませんね。

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写真:Cremisan修道院とブドウ園

出典:https://terrasanctatrading.com/cremisan/

ベツレヘムにあるCremisan修道院が土着品種回帰へのスタートと言われています。

ココは1885年からワインを作ってるそうです。

イスラエルワインガイドのガイ・ゾハル氏がこの修道院の興味深いブレンドワインを発見してしまいました。

それはHamdaniと言うワイン名でHamdani & Jandaliという葡萄のブレンドワインでした。

この二つの品種は土着品種という事で一気に注目を集めました。

 

古代イスラエル品種への探求は研究へと進んでいきます。

アリエル大学のシビ・ドローリ博士はエレツ・イスラエルの研究家で古来の葡萄を研究しています。博士によるとイスラエルには150種近い土着種があったと見ています。

すでにいくつかのワイナリーで土着品種を栽培しワインにする試みが進んでいます。

写真:GVA’OTワイナリーの土着品種ハムダニ

シビィ博士のワイナリーでもあるGVA'OTではGofnaシリーズでハムダニとジャンダリの白ブレンドを、100%ビトゥーニの赤ワインを製品化しています。

Recanatiワイナリーは2014年からANCIENT VARIETIESシリーズで、白マラウィ100%(Marawi)赤ビトゥーニ100%(Bittuni)をリリースしてます。

他にも大手のTeperbergがダブキを使ってFamitage Inspireを、イスラエルワインのアイデンティティを探求するJezreelワイナリーはPET-NATにダブキや赤にアルガマンを積極的に取り入れています。

 

これから他のワイナリーが土着品種を使って、古くて新しいイスラエルワインの創作がされていくと思います。乞うご期待です!!!

ワイン用に復活している土着品種

 

ハムダニ(Hamdani)

マラウィ(Marawi)

ジャンダリ(Jandali)

ビトゥニー(Bittuni)

ダブキ(Dabuki)

ブラッディ

アルガマン(Argaman)

マスカット・ロイ(Muscut Roy)

写真:GVA’OTワイナリーの土着品種ハムダニ

参考資料

2013年 Eitan Ayalon, Raphael Frenkel, Amos Kloner

"Wine production in Eretz-Israel in the days Kedem:

Progress in research or Perception revolution?"

ユダヤ教.jpg
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